column

初めての方へ

 フリーペーパー「lay」をご覧の皆様、はじめまして。
 突然カミングアウトしますが、私はアスペルガー症候群です。これについて簡単に説明しますと(実際には簡単に説明できないほど複雑だったりしますが)、人とのコミュニケーションが苦手だったり、会話の内容に食い違いが起きてしまったり、空気を読んだ行動が取れていなかったりしてしまう脳機能の障害の一つです。その代わりに、普通の人よりも記憶力は優れていたり、発想力に優れていたり、意外に行動力があったりして周りを驚かせることもあり、このような具合に普通の人よりも優れた能力を持っております。この特性を生かして大きな業績を残している人も結構多いのですが、大半は社会に適応しようといくら努力をしても周囲の理解を得ることができず、一般社会から一方的に切り離されてしまい、生活していくのに苦しんでおります。実際私も、注意深く指示を聞いて仕事をしたとしても指示と違っていると指摘されることが多く、これが影響して仕事が長続きせず、今も仕事を探している状況です。
 昨年「精神」というドキュメント映画の試写会がありました。これは精神病と向きあいながら暮らしている岡山のある病院の記録を映した映画で、アスペルガー症候群の私としてはこれを見逃してはいけないと思い見に行って参りました。内容的には「精神障害あるある」といった感じで結構共感できることがあったり、納得できるところがあったり、でも現実の厳しさを思い知らされたり、いろいろ考えさせられるものでした。また、自分自身今まで知り合ってきた人の中で同じような障害を持つ人が2人程いるのですが、彼らも同じように社会に馴染むことができず苦しい生活を送っているのではないかと心配になりました。
 そこで自分だけでなく同じように脳機能の障害で働くことに悩んでいる人と、脳機能の障害がなく生活している人がお互い理解をしあい、脳機能の障害の有無を問わず自立して生活できるようなきっかけを作りたい、互いに認め合っていくことによって生きていくことへの自信をつけられるような環境を作りたいと思い、昔友人がやっていた音楽のフリーペーパーのことを思い出し、このフリーペーパー「lay」を作ることにしました。フリーペーパーという性質上、写真やイラスト、ちょっとしたポエムやエッセイしか載せることができませんが、「lay」を通じて画家やイラストレイターなどの芸術分野や、出版やデザインの分野で活躍できる人が出てくれば、非常に喜ばしいことです。業種は限られてしまいますが。その想いをこめて、このフリーペーパーが社会に活躍していくための希望の光につなげる意味で「lay」としました。
 というわけで、「lay」をご覧の皆様には、アスペルガー症候群など脳機能障害を抱えた方への就労および生活支援へのご理解とご協力をよろしくお願いいたします。実際に難しい問題かもしれませんが、時間をかけてお互いに努力と理解をすれば、必ず社会に新たな希望の光が差し込んできます。


みちのくYOSAKOI祭り

 みちのくYOSAKOI祭りを語るに当たって、自分の中ではこのお祭りを立ち上げた三宅さんを抜きにしては話せない。このリンクをある程度見ればいいのですが、このみちのくYOSAKOI祭りというのは、宮城県出身で高知大学に進んだ三宅さんという学生が、仙台の商工会にあきらめずに掛け合っていった結果生まれたお祭りである。その実現のために電話やFAX、深夜バスを乗り継いでの直談判、さらには一人でよさこいを踊って訴えていき、1998年に第1回みちのくYOSAKOI祭りを実現したというのである。この顛末に関しては記事を見ていただければありがたいのですが、実は私、この三宅さんという方とお会いしたことがある。
 11年前、高知に行ってから半年ぐらい経った頃に、あるよさこいチームの練習について行ったときに三宅さんと出会った。この三宅さんという方なんですが、私と同様非常にしゃべりが下手な方で、ちょっと挙動不審な感じがするところとかも含めて私ととっても似たような方だった。そういう人がこんなお祭りを始める為に関係者を説き伏せたのかと思うと嘘なはずだと思いながら、下手なりにいろいろとお話をしていたら、流れで三宅さんが本場のよさこいを踊るということになった。すると、それまでふにゃふにゃとした感じの三宅さんが気迫あふれる表情と動きに変わり、和やかな空気から一気に緊迫感に包まれた。その三宅さんの気迫あふれる一挙手一頭足の演舞の動きは心を打たれて、今でも正直忘れることのできない緊張感あふれる時間だった。これを見て、説き伏せたという事実も納得できた。
 そして現在になって、地方自治体の種類を一種類にしたらどうかと全国に訴えようとする極度の説明下手な自分の姿がある。だが、そうしなければならないという行動の根底には、15年前にみちのくYOSAKOI祭りを立ち上げようと説得しようとした三宅さんの姿がある。この行動こそ、この事実こそ、今の自分にとって生きる支えの一つであり、いずれは日本はおろか世界にとっても最も影響を与えるものである。そういう意味では、私はついているのかも知れない。
 また、この東日本大震災で宮城県も大きな被害にあった。三宅さんは知り合った当時、亘理町に住んでいたと記憶している。ここも大きな津波の被害を受けた。本当に安否が心配である。わかる方がいたらご一報をお願いしたい。

進化ととらえるか、差別ととらえるか

 厚生労働省は6日、「4大疾病」と位置付けて重点的に対策に取り組んできたがん、脳卒中、心臓病、糖尿病に、新たに精神疾患を加えて「5大疾病」とする方針を決めたという。ある程度精神障害に対する理解が進むことが期待する半面、不安もある。
 怖いのは、通常の性格ですら精神障害と疑われる事実。これについては2008年10月ごろのこのブログについて一読を頂きたい。この時点で小沢一郎氏を精神障害呼ばわりした市民が出ていることから、この動きについて加速するのではないかと思われる。
 それとそれによるいじめ。かなり話が発展して申し訳がないが、変な意味で全ての人に対して民族や思想、意識の多様な社会というものを受け入れる土壌を小さい頃から教育していかない限り、予防というよりも全てにいい効果を発揮できる社会はできないように思う(まあ民族は、その概念自体なくすべきという思いがあるが)。むしろ人は全て同じなのは人として生きるプライドや身上だけで、それ以外は違ってもいいという教育が世界中になされないのかが問題である。まだ疑問に思うところがあるが、ここまでにしておきたい。
 最近は放射能によって奇形児も増えるだろうという雑誌の記事すらあった。放射能を帯びた妻帯者だなんてといって結婚が破談になったというニュースも流れた。個人的には、この日本人が変な奴がいることをこの社会においてどんだけ嫌がっているのだろうという思いがする。これが悔しい。それは精神障害になっても同じ。そこまでして普通の人のように育ってほしいのか。普通に生きることが最高だというのか。そうだろうけども、そうでない人に対して活かすことを考えているのだろうか。そこに配慮する心もないのか。突出している者に敬意すら払えないのか。突出するからこそ進化だと考えられないのだろうか。人類の進化に貢献していると誇りに思うことができないだろうか。本当に疑問に思うし、これが当然という社会が悔しい。少しでも精神障害の5大疾病化がこの疑問にNOという答えを出すきっかけであってほしいところである。


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